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エッセイマンガ家 イラストレータ- MONの仕事
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文庫版『おしゃべりニューヨーク』と仕事のいろいろーその2
続きです〜〜。

どうしてアメリカに行ったんですかと聞かれることがあります。

はじめてニューヨークへ旅行で行ったのは、'85年ごろ(だっけ)です。
このときのことは、モーニングで連載していた『カリフラワーズトーク』でレポートを描いています。マイク・タイソンとすれちがったとか。。。。

そのときは、はじめから取材だったわけではなく、友だちと旅行に行くことに決めたら、担当さんも行きたいな〜ってなり、じゃあ、数回レポートを書くかってなって、講談社からはフィルムと現像代、現地コーディネーターをつけてもらえることになりました(その他は担当さんもわたしも自費旅行)。
なぜニューヨークに行きたくなったのかというのは、本書をぜひお読みください。。。(だいした理由でもないですが)。

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そのときの現地コーディネーターで、その後友人になった、そのときすでに在米15年だった人との出会いも大きかった。
ひとりでは知り得なかった情報をたくさん教えてもらい、その後、単行本にまとめるときは、毎回、英文や情報のチェックを頼みました。

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はじめてのNY旅行は約1週間。そのあと2度行って、住んでしまいたいと思ったのは、もちろんこの街にじっくり滞在したいと思ったのも確かですが、そのころはいろいろとしんどいこともあって、いったん全部リセットしたかったというかんじも大きくて。。。。当時は円高で留学ブームで、それにほいほいのっかりました。
もともと、あんまり後先考えないタイプではありますが、ほんと、後先考えてなかったな。。。(だめだめなかんじ)。

しかし、だめだめってとこはじつは重要で(ほんとかな?)、このマンガのいいとこってあるとしたら、たぶん、もともと英語好きとかできる人がどうしたって話じゃなくて、だめだったとこから、ということだと思うので、それもありってことにしといてください(汗)。

ちょっと現地に慣れたり、言葉できるようになってきたり、その後ちゃんと学校に行ってしっかり語学やったりすると、ちょっと難しいけどこれ覚えるといいよっていうのを言いたくなっちゃうんですが、いまでもなかよくしてもらってる『おしゃべりニューヨーク』の担当さん(集英社で仕事するようになってからずっと、そして、このマンガをずっと担当してくださってた)が、どこから読んでも難しすぎないよう、いつも冷静にやんわり軌道修正してくれたこと、ほんと感謝しています。

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*時系列でいうと、『カリフラワーズトーク』絶版単行本(汗)3巻分は渡米前で終わっています。モーニングには渡米後も連載を1年半ほど続けていましたが、その分は単行本には収録されていません。
で、『おしゃべりニューヨーク』が始まったのは、渡米後、数ヶ月してから。

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『カリフラワーズトーク』は、そのときそのとき見たこと、気になった事を語るというものでしたが、担当さん(連載開始からNY住みに行って数ヶ月後くらいまでずっと担当だった)に、「悪く言わない」(悪く思うならとりあげない)でやろうって、かなり始めのころ言ってもらって、それをずっと守ってきたし、いまも自分の芸風はそれだと思っています。

わたしはおもしろく皮肉をいえるほど頭脳明晰じゃないし(そういうのできるってあこがれるし、読むのは、人によるけど好き。ナンシー関さんとか)、それはわたしにはできない、続けてはできない、続けて行くためのわたしの芸風ではないと、はやいうちに悟ったのは良かったように思います。

いちど、一般的なネタもやってみようって、きらいじゃないけどあまりすごくは好きじゃないバンドのコンサートのレポートを描いてみたけど、ぜんぜんおもしろくならなくて(すんごいがんばって描いたつもりだったんだけど)、こういうことはやっぱりやめましょうって言ってもらったことがありました。そこをわかってもらえる人でほんとによかった。結局それは単行本には載せていません。

だから、イラスト/絵/カットだけの職人的な仕事と、エッセイマンガ/イラスト仕事は、はっきり分けてきました。たとえば、イラストを描くだけならだいたい何でも描くし、絵柄なんて要求されればそのように変えもしますが、自分の名前で描くエッセイやマンガのなかで、心から思ってないのに「これ、いいよね」的なことを書くことだけはやらないできました。

わたしはほぼ仕事を断るってことないんだけど、そのような依頼だけは断ってきましたし、続けてやっていた広告で途中からそれを要求されてしまい、降りたこともありました。
全然たいしたポリシーとか哲学とかいうんじゃないけど、それくらいしかわたしがエッセイマンガを書く意味がないと自分では思うし、おいしい、楽しいという、「じぶんのリアクション」は読者にあんまり関係ないので、対象物/人/エピソードを描くようにしてきたつもりでもあります。
こっそり小さな声で、細々と思っています。

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『おしゃべりニューヨーク』1巻<上陸編>では、解説を、まんが評論家の村上知彦さんに書いていただいてます♬♬

村上さんは、高校生〜大学生のころ愛読していた大阪のタウン誌「プレイガイドジャーナル」の編集をされていました。
わたしは映画の試写券に応募するハガキのすみっこにラクガキを書いて送って、それが読者ページに掲載されたのが飛び上がるほど嬉しくて、何度も何度もしつこくそんなハガキを送りつけていた、いち読者でした。

当時の「ぷがじゃ」(プレイガイドジャーナル)の懸賞は、当選したら、編集部までとりに行かなくちゃいけなくて、数度行った記憶があります。が、そのときは、誰と話をするなんてそんなことはできるはずもなく、ちらりとみえる「編集部」ってものにどきどきしながら、映画の券もらってこそこそと帰るみたいなかんじ。

わたしは今でも、打合せに編集部とかに行っても、誰にどう話しかけたらいいのか、そもそも入っていいのかとかうろうろそわそわしちゃうんですが、そのころから同じ。。。。(汗)。

そのうち、大学を卒業して、就職するのが単に嫌で上京してバイトしながらセツ・モードセミナーに行きつつ、仕事を少しはじめたころに、『大阪呑気辞典』というコラムにちっちゃなカットとか、ぷがじゃに映画レビューみたいなイラストとエッセイを描かせてもらったりしました。

そのころ東京にいらした村上さんに、一度だったか、お互い歩きで行ける中間地点だった、早稲田のどこかの交差点で原稿をお渡しした記憶があります。
喫茶店とかじゃなく交差点で渡すというのがなんだかやけに記憶に残っていて、当時住んでいた市ヶ谷柳町のアパートからてくてく歩いて早稲田まで15分くらいの散歩コースとともに、わたしの脳内ハードディスクの記憶フォルダにしっかり動画で残っています。

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今回解説をいただいて、いちばんびっくりしたのは、学生のころ作っていた個人誌を読んでてくださったってことで、そんなことこのウン十年間ぜんぜん知らなかった〜〜〜(汗汗汗)。

そのあと、わたしが行方不明になったり(いや、渡米とか)して、わたしは村上さんが大学の先生などされているのを遠くから存じ上げてはいたけれど、すっかり連絡などもしないままになっていて、長い(汗)年月がたち、、、、つい5年ほど前、ブログにメッセージをいただき即座に返信をしました。
その内容は、『大阪呑気辞典』が文庫になるので、1カット使えないかということだったんですが、そのメールの返信をしたのが関西空港。『アメリカまるかじり』の取材にニューヨークへ行く飛行機の搭乗がまさに始まっったときなのでした。

またまた、おともだちのギャラリー「あしたのはこ」さんで開催された、ひさうちみちおさんの展覧会にいらしたと聞いたり、なにかご縁が近づいているかんじはしておりましたが、去年大学でやった個展にいらしていただいたのが20数年ぶりのリアル再会。

で、その半年くらい後、中津のシカクさんでプライベートなゲーム会をやっていたときに、たまたま村上さんがお店にいらしてびっくり!
ご縁ってふしぎです。

(続く)

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